「じゃん!」
「えー・・・」

部屋の隅に鎮座していたそれを手でしめしたら、思いっきり顔を歪ませて嫌そうに成歩堂さんが唸った。
いや、うん。そりゃあ別に成歩堂さんが喜ぶと思ったわけじゃないんだけど、自称ピアニストなんだからそんな顔しなくてもいいのに。
かといって成歩堂さんに素直に驚かれると、それはそれで怖いものがあるんだけど。

「その反応はピアニストとしてどうなんですか?」
「僕はピアノ専門だから。キーボードは対象外なんだよ」
「なんていう屁理屈ですか・・・」
大体専門とか言うくせにピアノなんてまともに弾けないじゃないですか。うそつき。
実は影で糸鋸さんとか真宵ちゃんに、ピアニートって言われてるくせに。
「別に成歩堂さんに使ってもらおうと思って買ったわけじゃありませんから」
キーボードはピアノと違ってヘッドホンを付けられるところがいいところだと思う。私の住む小さなアパートだって周りに響くことなく演奏できるのだから。
「・・・何か弾けるの?」
「・・・・・・練習中です」
唯一弾けるのは猫踏んじゃったくらいですが、何か。


電源の入ってないキーボードに指を置くと、しゅ、と擦れるような音がして白い鍵盤が音を奏でることはなく深く沈んだ。
成歩堂さんがボルハチに行っている間、寂しくなったらこれに触れていようなんて思ってるのは内緒だ。毎日毎日レストランに行くわけにはいかないから、寂しくなったらこれに触れて、ああ、成歩堂さんも今へたくそなピアノを弾いているのだろうと思ってにんまりするのだ。
なんだかまるで依存症みたいだ、と思うと、思わず笑みが浮かんだ。

「やらしい。思い出し笑いしてるでしょ」
「別に思い出し笑いじゃないですもん。笑顔にそういう邪念を含むほうがやらしいって言うんですよ」
ぎゅっと後ろから抱きしめてくる成歩堂さんに、私は腰に回った手をぴしゃりと叩いて反論する。それを言ったら成歩堂さんのやらしさは異常だと思う。特にニット帽をかぶるようになってからの成歩堂さんのやらしさは随一だと思う。
・・・あれ?そういえば昔から何気に好意を向けられてもクールに流してたような気が。・・・女慣れしてるのかな、この人。
「言っておくけど、こういう関係になったの、きみが初めてだからね、
「・・・・・・うそつき。ちぃちゃんはどうしたんですか、成歩堂さん」
「あやめさん、ね。あやめさんとは僕、手をつないだだけだし」
「え・・・?」
勢いよく振り返ると、私の肩に顎を乗せていた成歩堂さんが、その胡乱気な瞳のまま私をじっと見つめていた。
ちぃちゃん、もといあやめさんと付き合っていた時は、確か成歩堂さんは大学生だったはずなのに。大学生で、手をつないだだけって・・・そんな。
「・・・意外と、純情だったんですね、成歩堂さん」
「そう思うの?は」
「いえ、全く」
私と付き合い始めた時は手を出すの早かった気がしますし。・・・うん、この人が純情だとか言ったら純情が可哀想だ。
まだ成歩堂さんが真っ直ぐな目をしていた時から、何気にSっぽかったし・・・。むしろ、このドSっぷりはちぃちゃんに育てられたといっても過言ではないのか・・・。あ、勿論ちなみさん、の方に。


「成歩堂さん、成歩堂さん・・・手が不穏な動きをしていますが」
考え事をしていると、するりと服の中に入っていく手をぴしゃりと叩いた。なのにその手は怯むことなく上へと向かっていく。まあ、本気で叩いたわけじゃないんだけれど。それでももうちょっと止まってくれるとかしてもいいと思う。
「僕はピアノもキーボードも弾けないけど、なら上手く奏でられるからね」
「うわぁ、なんですかそのエロ親父な発言」
全然上手いこと言えてないです。むしろげんなりしますよ、成歩堂さん。
顔を歪めて言った私に成歩堂さんが私の肩に顎を置いたままくつくつと咽喉で笑う。その振動が肩に伝わってきて、ちょっとくすぐったい。
時計を見れな成歩堂さんがボルハチに行くまではまだ3時間はある。ごそごそと服の中で動き回る手に、仕方が無いなぁと体の力を抜いた。

「でも、好きだろう?こういうの」
「・・・好き、ですよ?成歩堂さんが」
「・・・・・・」
不意打ちと言わんばかりに振り向いてちゅ、と小さな音をたててキスを落とすと、成歩堂さんが珍しく瞳を見開いて沈黙した。
やった、勝った!





貴方の指が私に触れて



( そうして奏でられる音が、何よりも貴方の好きな音でありますように )